仁義とモラル

正岡子規の『水戸紀行』(筑波書林、1979年)です。
この出版社は、土浦市にあって、茨城にまつわるいろいろな本を、〈ふるさと文庫〉の名称で出しています。徳永直の『輜重隊よ前へ』という消費組合をあつかったルポも、ここから出ています。
さて、子規は、明治22年4月に水戸に行ったときのことを書いたものです。本文だけだと短いので、「解説」の柳生四郎さんという人が、現地調査をした結果などをまじえて、補足をしています。
その中で、子規は道中難儀をしています。その中でも、食い物がまずいとか、宿屋の客あしらいがまずいとか、いろいろと不平をならべています。
その中で、石岡の宿だけはややまっとうだったようで、そこを出るときに「水戸に行くのなら宿は決めたのか」と問われ、ないと答えると、どこそこがよいといって『案内状』をつくってくれたというのです。
ところが、水戸に着いて、その宿に行ってみると、待遇が悪い。子規はその理由を、そこは官員がよく泊まるので、書生(当時の子規は学生です)などどうでもよいと判断したからだろうということを書いているのです。
そこで宿の主人と談判して、結局そこから出て、別のところに案内されるのですが、そこが下宿屋だと気づいて、ますます子規は不機嫌になります。
どうも、明治時代の紀行文など読むと、そういう悪いものをつかまされただの、予想よりもひどいところに押しこまれただの、いわば〈仲人口〉を信じてひどい目にあったという記述がよく出てくるように思います。たしか露伴の「突貫紀行」にも、どこかで買った卵が悪くてたべられなかったというのがあったように記憶しています。
そこの土地の人にはそれなりの事情があるのでしょうが、おなじみさんでない人に対して、じゃけんにあつかう気風が、なくはない、というのも、日本のある一面ではあるような気がします。そういうことに対しての自戒の気持ちはいつも持っていなくてはいけないんでしょうが。