追悼

インドネシアの作家、プラムディヤ・アナンタ・トゥールさんが亡くなったということです。彼の作品は、大作(四部作だとか)の最初の、『人間の大地』しか読んだことはないのですが、オランダ支配下インドネシアで、自分を確立しようとする青年ミンケの生涯を描いた作品でした。なかなかその次が読めないままでいつの間にか日を過ごしていたのですが、そろそろ読まなければならないかとも思います。

さて、先日の倉田さんへの意見ですが、誤解を招かないように、もう一度。

倉田は、『いま中国によみがえる小林多喜二の文学』(東銀座出版社、2006年)の276ページでこう書いている。

 この発言について、会場で質問が出た。多喜二がなぜ読まれなくなったのか、と。
 それに対する私の答えはこうであった。
 その理由は、今述べた社会経済条件に加えて、日本では若者の活字離れ、そして新しいタイプの文学が出てきたからである。

これが本文で、そのあとに注がついている。次のとおり。

 このとき、会場では私は答えなかったが、たとえば、日本では、司馬遼太郎村上春樹などの文学である。古くは吉川英治

この記述は、こういう読み取りを可能にする。「多喜二が死んだ後、多喜二とは別のタイプの文学が現れた。それは吉川英治からはじまり、司馬遼太郎村上春樹に受け継がれた」
それに対しての意見を述べたい。
多喜二の「不在地主」の扉に次のような記述がある。引用は1982年第3刷の新日本出版社版の『小林多喜二全集 第二巻』である。

 この一篇を、「新農民読本」として全国津々浦々の「小作人」と「貧農」に捧げる。「荒木又右衛門」や「鳴門秘帖」でも読むような積りで、仕事の合間々々に寝ころびながら読んでほしい。

この、「鳴門秘帖」は吉川英治の作品である。多喜二は吉川の作品をライバルとしてみていたことになる。倉田の言う「新しいタイプ」の中に入れるのは適切とはいえまい。

多喜二と司馬遼太郎、多喜二と村上春樹とがそれぞれちがうタイプに属するという点に関しては、そんなに異論を唱えるほどのことはない。しかし、倉田の記述では、司馬遼太郎村上春樹とが同列になっているように読むことができる。ただし、この点に関しては、それぞれ別系統の「新しいタイプ」であると、倉田が言うのなら、それでいい。こちらの早とちりだったとしよう。

そういうことから、4月29日づけの、「知ったかぶり」の表現になったわけで、ここに書いたことを踏まえての議論ならば、それを通して認識を深めることはできるだろう。