棄てたもの

娘の大学のある街に行ってきました。
古い都のあるまちで、その当時からある寺社が、いまも人々を集めています。
当時の都の跡地は、公園のような形になっていて、犬を連れて散歩する人や、キャッチボールをしてあそぶ子どもたちもいます。その一角で、間近に迫った節目の年に向けて、新しい整備の工事も行われています。
けれども、考えれば、この都は、当時の帝が、意図的に、次の都に遷都したところなわけです。敵に攻められて落城したとか、天災にあって放棄したとかいうわけではありません。そうした遷都をへて、今のこの国もあるわけです。
単に、昔のみやびということだけではなく、意図的に遷都することで、あらたに造営される都のために、どれだけの資源が使われたのかということも考えてしまいます。柱をたてる木材はどうしたのかとか、豪華な金銅仏をつくるのにどれだけの燃料が必要だったのかとか、木像にしても、一木から寄木になるには、良材が枯渇した可能性も十分あるでしょう。
記念行事もいいですが、そうしたことも、気には留めたいものです。