インターバル

さくらももこさんが亡くなられました。
たしか『学生新聞』だったと思いますが、さくらさんのエッセイについての寄稿を求められたときに、エッセイもいいが、本業の「ちびまる子ちゃん」について書かせてもらいたいということを申し出て、受け入れられたように記憶しています。そのとき、アニメがいったん中断していた時期だったので、放送終了と書いたら、「一時休止」だと修正を求められました。今から思えば、その通りになったのですね。

どうせやるなら

鴻池留衣さんの「ジャップ・ン・ロール・ヒーロー」(『新潮』9月号)です。
あるバンドの盛衰を、ウィキペディアの記事仕立てで記すという作品なのですが、文章がちっともウィキペディア文体模写になっていません。内容以前の問題ではないでしょうか。

人情ばなし

北嶋節子さんの『エンドレス』(コールサック社)です。
つながっているような作品5つからなる短編集なのですが、ホームレス支援の話であったり、小学校で良心に従って行動することのむずかしさを書いた話であったりと、日常のなかでの希望のありようを描いています。
たしか、松本喜久夫さんが、「悪いことをする子はいても悪い子はいない」という立場で書くという趣旨のことを話していましたが、北嶋さんの立場もそれに近いような感じがあります。子どもはほとんど登場しない作品集ではありますが。

都合の悪さ

辻田真佐憲さんの『大本営発表』(幻冬舎新書、2016年)です。
大本営発表がだんだんとでたらめになっていくプロセスを、きちんと追いかけています。そこと、メディアが共犯者になったように、あおりたてるというのも、決して昔話とはいえないのでしょう。都合の悪いことを隠したがるのは、今の方がひどいのかもしれないのですから。

こんなところにも

古山高麗雄『兵隊蟻が歩いた』(文藝春秋、1977年)です。
著者が召集されて戦地に赴いた、フィリピンやシンガポール、マレーシアやビルマを、1975年〜76年にかけて再訪したときの文章です。著者は、再訪の過程で、日本軍がどんな軍隊だったか、それが現地の人びとに対して何をしていたのかを考えます。ここまで戦線を広げた軍へのありかたを、〈狂気〉と評する著者の姿勢は、くみ取るべきものがありそうです。
これらの文章、『諸君!』に掲載されたようです。40年前は、こうした感覚は、全体に共有されていたのでしょうね。

命日

今日は川端康成が亡くなった日だそうです。もう46年になるのでしょうか。
新感覚派としての川端のおもしろさが一番出ているのは「水晶幻想」かとも思うのですが、そういうものを書きながら、時評をしっかりと書いていたというのも、考えてみるとみごとだったのかもしれません。

併走

現代日本の批評』(講談社、全2冊、2017年〜2018年)です。
東浩紀さんの『ゲンロン』の流れで、講談社の文芸文庫にはいっている『近代日本の批評』を意識しながら、その続編といったおもむきで、1975年からの批評のながれをシンポジウム風にまとめたものです。
それこそ、浅田彰がはやりだしたころからを同時代としてみてきたのですから、こうして歴史の対象として振り返られているのをみると、なにやらその時代に食らいついてきたような感覚を覚えてしまいます。
そういう点では、全2冊を一気に通読した方が、時代の雰囲気を追体験できるように思えます。