同じ場所で

金子兜太さんが亡くなられました。何年か前に、文団連だったかの集会でお話をされたのをうかがったことがありますが、その時はあの『……許さない』の揮毫をされた直後だったかと思います。
金子さんは戦時中に兵士としてトラック島に駐屯して、孤立させられるという体験をされたそうですが、その時には、窪田精さんもトラック島に服役囚として派遣されていたようです。
補給を断つという作戦の犠牲になって生き延びるという経験が、それぞれの文学をつくっていったのですね。

なぜ誰も

カズオ・イシグロ遠い山なみの光』(小野寺健訳、ハヤカワ文庫、2001年、原作は1982年)です。
イギリスに住む日本人女性が、最初の夫との子を宿して長崎に住んでいたころを回想するというできごとを軸とした物語で、のちのイシグロの作品を予想させる、人間関係の食い違いを描いています。
それはいいのですが、主人公が稲佐山に行く場面で、「ケーブルカー」に乗るところがありますが、ケーブルカーが「空の中の小さな点になってしまう」(p145)とか、「四方は大きな窓で、長いほうの壁面に向かいあう腰掛けがついている」(p148)とか、「わたしたちは宙に浮かんだ」(p149)とか、これは日本語でいう「ロープウェイ」を指しています。
たしかどこかで、「英語のcable carは、日本語のロープウェイだ」ということを聞いた覚えがありますし、稲佐山にあるのは今も昔もロープウェイなのですから、作者もそのつもりで書いたのではないでしょうか。訳者はつい最近亡くなられたと聞きましたが、この訳が1994年にちくま文庫で出てからも20年以上、どこからも指摘はなかったのでしょうか。

真剣度

オリンピックの入場行進、ハングルの順番だそうです。2008年の北京でも漢字の順番だったわけですから、2020年には、五十音順にしなければ、やる人たちが、ほんとうに自国の文化や伝統、言語を大切に思っているのかどうかがわかりますね。口先だけで、「この国を守る」という人たちに、国を守ってほしくはないですから。

底に流れる

『近代社会主義文学集』(角川書店『日本近代文学大系』内、1971年)です。
このシリーズは、近代文学に注釈をつけるという、なかなかおもしろい取り組みをしたもので、いまは明治や大正時代の作品には、文庫本では注がつくものが多くなっている先駆にあたるものでしょう。
この巻は、いわゆる〈大正労働文学〉といわれる一連の作品と、その周縁にあたるもので構成されていて、荒畑寒村だとか、宮島資夫の「坑夫」だとか、大逆事件から構想された尾崎士郎のものだとか、今ではなかなか読めないものもはいっています。
こうした作品には、明治時代の社会運動の流れが反映していて、足尾銅山の争議がかかわっていたり、小作人の地主への反抗が描かれたりと、その点も興味深いものがあります。
明治150年がさわがれていますが、こうした作品が簡単に読めるようであってほしいものですね。

西に向かう

今年のセンター試験の小説は、井上荒野さんの「キュウリいろいろ」です。ハルキ文庫の『キャベツ炒め…』とかいう作品集に収められているとか。
40年ほどの結婚生活を経て夫を亡くした女性が、夫のふるさとを訪れる場面です。夫婦の間には子どもが一人いたのですが、幼くして亡くなってしまい、それからずっと夫と二人で過ごしてきたというのです。
夫の高校時代の同級生から連絡があり、写真がほしいという話なので、それにかこつけて、彼女は夫の高校のある街にむかいます。西に向かう電車にのって、山に登る人が多い電車だというのですが、それでも都下だというので、そんなところに自転車でまわれるほどの平地があるのかともおもってしまいました。雰囲気はずっと遠くのような感じなのです。
ここ何年か、女性作家の作品が続いています。試験問題になるような、場面の切り取り方は、女性の方がじょうずなのでしょうか。

注目度

高校サッカーの開会式ハイライトの番組を見たのですが、入場行進の場面で、全チームは紹介されず、たぶん制作者の目から見て注目のチームだけが映像として流れました。
これが、高校サッカーの現状だというのならばそれまでですが、CS放送も含めてこれでいいのかとも思います。

勝ってはいても

火野葦平『陸軍』(中公文庫、全2巻、2000年、親本は1945年)です。
もともとは1943年5月から1944年4月にかけて「朝日新聞」に連載されたさくひんで、単行本になる前に映画化されたというものです。北九州の一家の歴史に、陸軍がどうかかわっていたのかを描いています。
戦時中の作品ですから、当然軍隊の悪い部分など書けませんし、作品を執筆中に戦局はどんどん悪化していくのですから、作品に描かれる戦場風景が、景気のいいものにみえないのです。1942年のフィリピン攻略戦が描かれるところでも、食糧の補給がうまくいかない(兵站軽視は日本軍の伝統ですが)ところだとか、飯盒炊爨すれば火が相手の攻撃目標になるとか、なんか大岡昇平の書く、1944年から45年にかけてのフィリピンかとも思わせるような場面まで出てきます。実際に全滅した部隊もあって、それを「玉砕」と表現しているところなど、この戦争そのもののむなしさまで浮かび上がってくるというのも、どうかと思うところです。