きっかけ

中村真一郎 青春日記』(水声社、2012年)を、ぽつりぽつりと進めています。
著者が中学5年生のときから、高校3年のあたりまで、時期的には1934年から1937年ごろまでのものです。著者の父の死のころからの記述というべきなのでしょう。
当時の中学から高校にかけての学生のありようなども見えて、それはそれで興味深いのですが、そのなかに、中学時代を思い起こした記述があります。
著者が中学にはいったのは1930年なのですが、そのころは中学生もマルクス主義プロレタリア文学に関心をもっていたようです。著者自身も、学校に『蟹工船』を持っていって、ゴーリキーの『母』をもってきた友人と見せ合いをしたのだそうです。
ところが、そうしたふんいきが一変したのが満洲事変のあとだというのです。「私達少年の頭は、帝国主義民族主義軍国主義、排外主義で一ぱいになつた。昨日まであんなに忌み嫌つてゐた筈のそれらに、私達は夢中になつたのだ」と、1935年秋、一高1年生の著者は記します。

その時期の混沌が、中村真一郎をつくったのでしょうが、かれの最後のインタビューが、北村隆志さんによる『赤旗』のものだったということも、このころの経験とつながっていたのかもしれません。