どこまで進む

ちょっと気になっていたので、至文堂から2006年に出た、『「文学」としての小林多喜二』の中の、島村輝さんの『「党生活者」論序説』をめくっていたのですが、〈笠原問題〉について、島村さんはこう書いています。(236ページ下段)

主人公であり語り手でもある佐々木の、笠原に対する扱いや感覚が、やがて根本的に批判されるような展開を多喜二が構想していたのではないかとの推論を許すような伏線が、たしかにこの作品には仕組まれている。

また、不破哲三さんは、『小林多喜二 時代への挑戦』(新日本出版社、2008年)のなかで、こう書いています。(130ページ)

出発点で感情の離れを持ちながらも、やはり双方が実際の生活過程のなかで鍛えられ解決の努力をしてゆく、そして、多喜二が実生活のなかで経験していたような、困難ななかでも互いに支えあう信頼と愛情の関係に接近してゆく、そういう発展の過程を描こうとしたのではないか

似ているようで、違う結論を導き出しているようです。島村さんは「批判」を主眼においていますが、不破さんはその先の「解決の努力」のほうに焦点をあてようとしているようです。
こうしたちがいは、やはりあるものですね。