こんなところにも

古山高麗雄『兵隊蟻が歩いた』(文藝春秋、1977年)です。
著者が召集されて戦地に赴いた、フィリピンやシンガポール、マレーシアやビルマを、1975年〜76年にかけて再訪したときの文章です。著者は、再訪の過程で、日本軍がどんな軍隊だったか、それが現地の人びとに対して何をしていたのかを考えます。ここまで戦線を広げた軍へのありかたを、〈狂気〉と評する著者の姿勢は、くみ取るべきものがありそうです。
これらの文章、『諸君!』に掲載されたようです。40年前は、こうした感覚は、全体に共有されていたのでしょうね。

命日

今日は川端康成が亡くなった日だそうです。もう46年になるのでしょうか。
新感覚派としての川端のおもしろさが一番出ているのは「水晶幻想」かとも思うのですが、そういうものを書きながら、時評をしっかりと書いていたというのも、考えてみるとみごとだったのかもしれません。

併走

現代日本の批評』(講談社、全2冊、2017年〜2018年)です。
東浩紀さんの『ゲンロン』の流れで、講談社の文芸文庫にはいっている『近代日本の批評』を意識しながら、その続編といったおもむきで、1975年からの批評のながれをシンポジウム風にまとめたものです。
それこそ、浅田彰がはやりだしたころからを同時代としてみてきたのですから、こうして歴史の対象として振り返られているのをみると、なにやらその時代に食らいついてきたような感覚を覚えてしまいます。
そういう点では、全2冊を一気に通読した方が、時代の雰囲気を追体験できるように思えます。

同じ場所で

金子兜太さんが亡くなられました。何年か前に、文団連だったかの集会でお話をされたのをうかがったことがありますが、その時はあの『……許さない』の揮毫をされた直後だったかと思います。
金子さんは戦時中に兵士としてトラック島に駐屯して、孤立させられるという体験をされたそうですが、その時には、窪田精さんもトラック島に服役囚として派遣されていたようです。
補給を断つという作戦の犠牲になって生き延びるという経験が、それぞれの文学をつくっていったのですね。

なぜ誰も

カズオ・イシグロ遠い山なみの光』(小野寺健訳、ハヤカワ文庫、2001年、原作は1982年)です。
イギリスに住む日本人女性が、最初の夫との子を宿して長崎に住んでいたころを回想するというできごとを軸とした物語で、のちのイシグロの作品を予想させる、人間関係の食い違いを描いています。
それはいいのですが、主人公が稲佐山に行く場面で、「ケーブルカー」に乗るところがありますが、ケーブルカーが「空の中の小さな点になってしまう」(p145)とか、「四方は大きな窓で、長いほうの壁面に向かいあう腰掛けがついている」(p148)とか、「わたしたちは宙に浮かんだ」(p149)とか、これは日本語でいう「ロープウェイ」を指しています。
たしかどこかで、「英語のcable carは、日本語のロープウェイだ」ということを聞いた覚えがありますし、稲佐山にあるのは今も昔もロープウェイなのですから、作者もそのつもりで書いたのではないでしょうか。訳者はつい最近亡くなられたと聞きましたが、この訳が1994年にちくま文庫で出てからも20年以上、どこからも指摘はなかったのでしょうか。

真剣度

オリンピックの入場行進、ハングルの順番だそうです。2008年の北京でも漢字の順番だったわけですから、2020年には、五十音順にしなければ、やる人たちが、ほんとうに自国の文化や伝統、言語を大切に思っているのかどうかがわかりますね。口先だけで、「この国を守る」という人たちに、国を守ってほしくはないですから。

底に流れる

『近代社会主義文学集』(角川書店『日本近代文学大系』内、1971年)です。
このシリーズは、近代文学に注釈をつけるという、なかなかおもしろい取り組みをしたもので、いまは明治や大正時代の作品には、文庫本では注がつくものが多くなっている先駆にあたるものでしょう。
この巻は、いわゆる〈大正労働文学〉といわれる一連の作品と、その周縁にあたるもので構成されていて、荒畑寒村だとか、宮島資夫の「坑夫」だとか、大逆事件から構想された尾崎士郎のものだとか、今ではなかなか読めないものもはいっています。
こうした作品には、明治時代の社会運動の流れが反映していて、足尾銅山の争議がかかわっていたり、小作人の地主への反抗が描かれたりと、その点も興味深いものがあります。
明治150年がさわがれていますが、こうした作品が簡単に読めるようであってほしいものですね。