西に向かう

今年のセンター試験の小説は、井上荒野さんの「キュウリいろいろ」です。ハルキ文庫の『キャベツ炒め…』とかいう作品集に収められているとか。
40年ほどの結婚生活を経て夫を亡くした女性が、夫のふるさとを訪れる場面です。夫婦の間には子どもが一人いたのですが、幼くして亡くなってしまい、それからずっと夫と二人で過ごしてきたというのです。
夫の高校時代の同級生から連絡があり、写真がほしいという話なので、それにかこつけて、彼女は夫の高校のある街にむかいます。西に向かう電車にのって、山に登る人が多い電車だというのですが、それでも都下だというので、そんなところに自転車でまわれるほどの平地があるのかともおもってしまいました。雰囲気はずっと遠くのような感じなのです。
ここ何年か、女性作家の作品が続いています。試験問題になるような、場面の切り取り方は、女性の方がじょうずなのでしょうか。

注目度

高校サッカーの開会式ハイライトの番組を見たのですが、入場行進の場面で、全チームは紹介されず、たぶん制作者の目から見て注目のチームだけが映像として流れました。
これが、高校サッカーの現状だというのならばそれまでですが、CS放送も含めてこれでいいのかとも思います。

勝ってはいても

火野葦平『陸軍』(中公文庫、全2巻、2000年、親本は1945年)です。
もともとは1943年5月から1944年4月にかけて「朝日新聞」に連載されたさくひんで、単行本になる前に映画化されたというものです。北九州の一家の歴史に、陸軍がどうかかわっていたのかを描いています。
戦時中の作品ですから、当然軍隊の悪い部分など書けませんし、作品を執筆中に戦局はどんどん悪化していくのですから、作品に描かれる戦場風景が、景気のいいものにみえないのです。1942年のフィリピン攻略戦が描かれるところでも、食糧の補給がうまくいかない(兵站軽視は日本軍の伝統ですが)ところだとか、飯盒炊爨すれば火が相手の攻撃目標になるとか、なんか大岡昇平の書く、1944年から45年にかけてのフィリピンかとも思わせるような場面まで出てきます。実際に全滅した部隊もあって、それを「玉砕」と表現しているところなど、この戦争そのもののむなしさまで浮かび上がってくるというのも、どうかと思うところです。

外と内

温又柔さんの『来福の家』(白水Uブックス、2016年、親本は2011年)です。
温さんは台湾出身なのですが、おさないころに、両親の仕事の都合で日本に住むようになり、日本語の世界のなかで生きてきた方です。カズオ・イシグロの逆のような感じですね。
この作品は、作者姉妹の境遇と似たような場を設定して、日本語と台湾語、中国語との関係を考えていくようなものになっています。日本語の世界が、和人のものだけではない、ということも当然ながら考えさせられます。

重複

岩波文庫から大岡信の『日本の詩歌』が出たのですが、岩波現代文庫で出たものに、池澤夏樹の解説を付加したものです。すでに、それを持っていたことをすっかり忘れて、だぶって買ってしまいました。こういうこともあるのですね。解説料として700円払ったようなものです。

議論のはて

石川啄木『雲は天才である』(角川文庫、1969年)です。
表題作ほか計4作品を載せているのですが、啄木自身が生活者としてやはり何か欠けている点があるのか、登場人物たちもいろいろと議論をしてはいるのですが、どうしてもそこに血が通っていないようにみえます。小説の書き手としての啄木は、作品を熟したものにするには時間が足りなかったのでしょう。
それにしても、当時のバイロン熱のようなものとはいったい何だったのでしょうか。ギリシアの独立にはせ参じたことが評価されるのだとしたら、当時の日本にとっての〈オスマン帝国〉とはいったいどこだったのか、考えてしまいます。

未練

希望の党から立候補するための誓約書みたいなものが、報道の画面に出てくるのですが、そのなかに、「外国人の地方参政権の付与に反対」という趣旨の文言があります。
代表の方が、関東大震災のときの朝鮮人虐殺があったと認めないかたですから、当然といえばいえるのでしょうが、なぜこうした問題が議論になるのかといえば、戦前の日本が植民地帝国で、和人でない人たちがたくさん住んでいたからでしょう。希望の党の人たちは、きっとその時代にもどしたいのでしょう。