猫も杓子も

ちょっと怒られそうなタイトルですが、『図書』4月号に、金文京さんが「福沢諭吉漢詩」という文章を書いています。自分の父親の亡くなった年齢を超えたあたりから、福沢は漢詩をたくさんつくっているというのです。明治のひとびとにとっては、漢学の素養というものは幼いころからたたきこまれたものですから、漢詩をつくるには抵抗がなかったということなのでしょう。できのよしあしはさておいて、形式にあてはめる参考書はどこにもあるのですから、そこに依拠すればいいのです。やたら難しそうな漢語をつかって文章をかいたことの功罪はあるでしょうが、これも19世紀の日本の文化なのでしょう。