一貫

小田実『何でも見てやろう』(河出文藝選書、1975年、親本は1961年)です。
あらためて、死去で中断した『河』にいたるまでの小田さんが、ひとつことを貫いていたという感覚があります。これが2000年に書かれていたのだといわれても、納得してしまうようなところがあります。それは、小田さんがこの旅行で、いわゆる当時の東側陣営に属するところに行かれなかった(ソビエトロシアは高額なツアー旅行以外は受け付けず、ベトナムはヴィザ取得にかかる料金が高すぎるなどの事情があったようです)ことも関係しているかもしれませんが、それだけ、西側資本主義体制がこの50年間、そんなに変わっていないことでもあるのでしょうか。
この本の最後で、小田さんはこういいます。「現在、他のどの国に対しても、すくなくとも積極的に悪をなしていないこと――それは、もしわれわれがこれからもそうでありつづけるなら、それだけで、大きな能動的なエネルギーにまで転化できるものであろう。/そして、われわれが徴兵制度をもたないこと、これもまた、うれしいことであり、誇りに思えることであった。どこのユース・ホステルでも必ず誰かがこのことについて訊ね、私がかぶりをふりながら、われわれはそんな愚劣で野蛮な制度はもうとっくの昔にかなぐり捨てたのだと言うとき、まわりにいるさまざまの国籍の若者の眼が輝いてくる」
憲法を変えようとたくらむ勢力に対して、小田さんが最期までたたかい続けたことは、ここにあらわれた50年前の考えの延長であったのでしょう。また、「集団的自衛権」というもののまやかしも、ここにあらわれているのでしょう。そこは、知っておかなければならないのです。