ふたたび大本営

山田風太郎『戦中派不戦日記』(講談社文庫、1985年、親本は1973年)です。
これは1945年の日記ですから、戦争中から終戦直後までの山田青年の考えと、当時の社会が描かれます。山田青年は東京医専の学生として、学校ごと長野県の飯田市疎開し、そこで玉音放送を聴くのです。「共同宣言受諾」を耳にしたかれは、日本の敗戦を知るのです。
戦時下でも地方公演をつづけていた前進座とか、敗戦直後のひとびとの認識とか、興味深い記述もいろいろとあるのですが、1945年の沖縄戦直前になっても、大本営発表は、敵艦隊を攻撃して30隻も撃沈撃破したというような発表をしているのですね。事実を直視しない当局と、それを報道するメディアという問題は、70年近くたっても似ているような感じもします。