完結は終わりではない

佐伯一麦さんの『渡良瀬』(岩波書店)です。
本の後記によれば、雑誌『海燕』に1993年11月号から1996年9月号まで掲載し、雑誌終刊のために中絶していたものを、加筆して終わりを書き下ろして完結させたものだということです。
当時の雑誌は持っていませんから、どこまでが既発表分だったのかはわかりません。
作品は、1988年の秋、主人公が茨城県西部の工業団地のなかにある、配電盤をつくる工場に勤務するところからはじまります。彼は、いちばん上の小学生の娘が、緘黙症となったこともあり、環境を変えるべくこの町に居をかまえます。主人公は東京で電気工をしていて、最初は東京まで通勤していたのですが、体調を崩し、地元の会社に転職することになったのです。
作品は、その秋から次の年の春、渡良瀬遊水地の野焼の日までの彼と家族の生活を描きます。この時期のことは、作者はすでに「古河」という作品で一端を描いていますし、作中のいろいろなエピソードは、そういえば別の作品で読んだことがある、と思うようなものが使われています。
その中で、主人公は少しずつ工場の勤務に慣れ、家族もこの土地になじみ、子どもたちも周囲との関係をつくっていきます。子どもの緘黙状況も改善するきざしがあらわれます。その変化を、主人公の労働そのものを精細に描くことを通して、作者はあらわそうとしています。
実際には、この工場づとめの期間に、作者は小説を書き続け、若手を対象とした文学賞を2つ受賞し、専業作家へのみちを選んでいきます。そして、家族との関係も、決定的な段階へと踏み出してしまいます。そうした〈その後〉の世界を知ってしまっている今、この作品が、この土地に定着しようとする一家の姿を描き出したことに、〈書くこと〉を選んだ作者の覚悟を感じてしまいます。いろいろなことに亀裂を生じさせながらも、〈書くこと〉に賭けてゆくことの意味が、安定への流れの底にうごめいているのです。