止揚

朴裕河さんの『和解のために』(佐藤久訳、平凡社ライブラリー、2011年、原本は2005年)です。
日韓の対立が起きている項目に関して、両方の言い分を紹介しながら、韓国の人に対して、もっと相手を理解しようと訴えるものです。
個々の事由に関しては、韓国の人の意見など、なかなか知らないこともあって、とくに竹島のことを向こうの人がどうみているか(ノーベル賞候補の詩人の人でもそうなのかと、いささかびっくりしましたが)とか、なるほどとも思いました。
前に、萩原遼さんの、1980年代の韓国の民主化闘争を書いたものをここで紹介しましたが、日韓のそれぞれの、誰と誰とが連帯できるのかを、ほんとうに考えなければいけないようです。かつての朴政権時代のように、日本と韓国の支配層とが共通の基盤にたっていたときなら、連帯の方向は明確だったようにも見えるのですが、今の時代のほうが、見えにくくなっているのかもしれません。
そこをどう突破していくのか。日本人には日本人としての責任があるでしょう。いま〈嫌韓〉をあおっている人たちは、きっと朴時代には大手を振って〈友好〉といっていたにちがいないでしょう。岸信介の孫とか考えると、そう見えます。