こういうところにも

岩波文庫の『醒睡笑』(鈴木棠三校注、全2冊、1986年)を、けっこう時間がかかって読みました。
作者は安楽庵策伝(1554-1642)という人です。当時のいろいろとおもしろい話を集めたもので、こぶとりじいさんの話とか、「たいらばやしかひらりんか」の話とかも、ここに載っています。信長や秀吉・家康の逸話などもあって、戦国から江戸初期の状況を知るのに役に立つものではあるでしょう。逆に、それが読みづらい文章であるのも事実で、当時のことばと現代語との相違点にも考えが及びます。
そんな中に、こんな話が。足利義昭が信長に対抗して兵をあげ、無残に敗退したときのことだそうです。引用します。

上京に火かかると見て、二条に候ひし者の妻、まづわが子をさへ連れてのけばすむと思ひ、三つ四つなる子を背中におひ、走りふためき、四条の橋のもとまで逃げきたり。あまり苦しく、ちと子をおろして休まんと思ひ、地の上にどうど置いて見ければ、石臼にてぞ候ひける。(文庫本上巻129ページ)

いくさの実相について述べた話がほとんどないこの本にも、こうしたエピソードが載っています。むかし読んだので正確ではありませんが、江藤淳が『近代以前』のなかで、関が原から約40年ほどは文学史に残るような作品が出ていないという趣旨のことを書いて、戦後派文学を否定しようとしたことがありましたが、こうしたものや、後の時代にまとめられた聞き書きではあるけれども『おあむ物語』や『おきく物語』(前にここで紹介しましたが)などの存在も考えると、戦国の世についての記憶と経験は、いろいろなところにつながっていて、それが江戸幕府の平和を人びとが支持した根本ではなかったかと、改めて思います。
有識者」の方々にも、「意見広告」をだした人たちにも、そうした記憶を共有してもらいたいというのは、詮無いことなのでしょうかね。