一世紀

今回岩波文庫に収められた紀行文『五足の靴』です。
与謝野鉄幹の『明星』グループの若者四人が、鉄幹とともに九州旅行をしたときの文章だということです。その四人とは、北原白秋、木下杢太郎、吉井勇、平野万里でした。紀行文は『東京二六新聞』というところに1907年8月から9月にかけて掲載されました。
九州といっても、柳川の北原家が、目的地のひとつであったので、実際に足を踏み入れたのは筑肥の二州におわり、結果的には西九州めぐりというふぜいでした。しかし、彼らは、平戸や長崎でかつてのキリシタン文化の残照を発見し、天草では明治になってそこに移り住んだ神父さんをたずね、まだその地に残っている隠れキリシタンの実態の話を聞いたりしています。
それはそれで興味深いのですが、100年前のその土地の状況をみるにも、おもしろいものがあります。彼らは島原の町を訪れ、町中にはりめぐらされている水路に感嘆します。これは今でも島原名物になっていますが、当時は島原城が復興されていないので、城跡へいって、これが天草四郎のたてこもったところかと勘違いをしています。
また、長崎の茂木港から天草の富岡港へ渡り、そこから島の西岸を牛深まで行くというルートをかれらは通ります。(私事ですが、20年前にそのルートをとおったときには、道路もそこそこ整備され、原子力発電所の建設が始まっていたところでした。しかし、100年前の彼らはそんなことを知るはずもありません。)神父さんのいる村へ、必死になってすすんでいくのです。そうした、時代の変化も感じさせます。
三池炭鉱を見学もしている、100年前の日本を実感させる、文章でした。