山登り

ごぶさたしていました。

即位にあたって放映された映像のなかに、山に登っていらっしゃるものがありましたが、それを見て、窪田精の作品、「霧の南アルプス」(『民主文学』1988年1月号掲載、のち同題の単行本(新日本出版社、1994年)に収録)を思い出しました。作者と同年の主人公が、20歳で入営直前に北岳で亡くなった同級生の慰霊碑をたずねて登山する途中に、当時まだ昭和天皇在位時で、皇太子にもなる以前の現天皇の一行に出くわすというストーリーです。現天皇が20代後半のころですね。主人公は1921年生まれで、徴兵検査で合格して現役兵として入営するのは1941年の年末から1942年にかけてのことです。その同級生はそのときに山で遭難したわけです。

やっているなら

今尾文昭さんの『天皇陵古墳を歩く』(朝日選書、2018年)です。

最近、宮内庁が管理する〈陵墓〉への学術的な立ち入りが、少しずつ許可されているのですが、著者は、そこに参加して、いろいろな古墳の実態をみてきました。その経験から、古墳の状況と現状を記したものだということです。

実際には、管理の都合上、宮内庁もときどき学術調査をしているようで、発掘はともかく、管理(お濠に水が張ってあれば、当然浸食も起きるので、護岸工事が必要になる場合もあるとのことです)をしているために、わかっていることもあるようです。

そうした結果を、積極的に公表していくことが必要かと思います。いつまでも太田茶臼山古墳を「継体天皇陵」といいはるのも無理があるのではないでしょうか。

橋のたもとで

今年のセンター試験の小説問題は、上林暁の「花の精」という作品からです。主人公が庭の月見草を除去されてしまったので、友人と今の西武多摩川線に乗って、多摩川べりまで月見草を採りにいくという場面です。川べりにあるサナトリウムをみては療養中の妻を思い、それと月見草とがリンクしていくという作品です。

ものの本によると、是政橋が完成したのが1941年と、この作品の発表(1940年)で、設定もそのとき(ドイツ軍がパリに迫っているという新聞記事が出てきます)なので、橋は仮橋で、橋番がいて管理しているという状態が描かれています。そうした、貴重な時期を切り取った作品でもあるのでしょう。川の向こう側を走る南武線が2両編成だというのも、時代を感じさせます。

 

鉄道がらみで別件。「テツぼん」で〈新宿〉をからめた謎解き話がはじまりましたが、ちょっと単純すぎるかと。すぐ○○区だとわかってしまいます。

根が深い

中根千枝『未開の顔・文明の顔』(角川文庫、1972年、親本は1959年)です。

著者が1953年から1957年にかけて、インドからヨーロッパに行った時の記録です。ベンガル地方や、アッサムなどの地域の報告は、なかなか興味深いものもありますし、それこそインパール作戦で日本軍が侵攻したところにも行っているところもあるのですが、今回紹介するのは、ロンドンでの経験です。

イギリス人の〈ルールを守る〉ことへの徹底の例として、こんなことがあげられています。「どんなときでも、そのエスカレーターに、人々は左よりに一列に一糸乱れず乗っているのである。右側があいていて、急ぐ人はそこをかけ足で登って行く」(p173)

60年前の話です。さて、どんなものでしょうね。

泣ける話

漢文で、忠犬の話はいくつかあるのですが、そのなかで、犬が銀を守って死んでしまう話があります。けっこう泣ける要素があるかと思うので、原文と訳(試訳ですが)をあげておきましょう。

秦中有商於外者、帰挈一犬以行。抵黄河。行嚢在船、候人満乃渡。偶腹痛欲瀉。亟上岸、犬随往。有布袋裹銀五十両、解置地、戯向犬曰、看好。少頃、舟子以人満風順、連催登舟。帆已満張、一瞬而開矣。商入舟、方悔忘銀与犬。然日暮不能再渡。明晨縦往、安得前銀尚在。遂帰。明年、渡河復経前地、慨然曰、銀已無存、犬何帰乎。往尋、見犬皮覆地。検之、白骨一堆耳。商憫焉、掘地埋其骨、骨尽則前銀尚在。蓋犬守銀不離、甘餓死、覆尸銀上耳。商泣瘞之、為立塚。

秦の地から外に出て商売をする人がいた。秦に帰ろうとして、一匹の犬を連れて移動していた。黄河に着き、荷物は船に置いて、乗客が増えて出航するのを待っていた。たまたま腹痛で便意を感じた。すぐに上陸すると、犬もついてきた。布袋に銀五十両を入れておいたのを、地面に置き、気軽に犬に言った。〈番をしておいてね〉しばらくすると船頭が、お客さんもいっぱいになったし風向きもよいので船に乗るように呼びかけていた。帆も風をはらみ、すぐに出航しそうになった。商人はあわてて乗船して、そのあとで銀と犬とを置いてきたことを悔やんだ。しかしもう日暮れで再び渡ることもできない。明朝行ったとしてもどうして銀が残っているという保障があるだろうか、あるわけがない、と考えてそのまま帰ってしまった。翌年、黄河を渡り再びこの地を訪れると、ため息をついて言った。「銀はもうなくなっているだろうし、犬は誰に飼われているだろう」行ってみると、犬の毛皮が地面に広がっているのが見えた。調べると、白骨が山のようになっていた。商人は悲しくなり、地面を掘って骨を埋めてやろうとすると、骨の下には銀がそのまま残っていた。思うに、犬は銀を守って離れず、餓死してまで銀の上に乗って守っていたにちがいない。商人は泣きながら骨を埋め、犬のために立派な墓をつくった。

 黄河の幅と流れを考えると、こういうこともあったのでしょうね。

空気のゆくえ

海野弘『風俗の神話学』(思潮社、1983年)です。

1980年代初めに書かれた、都市論に近い文章をあつめたもので、ある意味時代の先端を突っ走っているようなところもあるし、その後のポストモダンやら、1920年代ブームやらを予感させるようなものもあって、その後の道行きを知っていると、なにやら懐かしく思えてきます。そういえば、あのころ槇村さとるは「N・Yバード」を、くらもちふさこは「東京のカサノバ」をと、都市にこだわったような作品を出していたと、こじつけめいたものまで連想してしまいました。