なぜ誰も

カズオ・イシグロ遠い山なみの光』(小野寺健訳、ハヤカワ文庫、2001年、原作は1982年)です。
イギリスに住む日本人女性が、最初の夫との子を宿して長崎に住んでいたころを回想するというできごとを軸とした物語で、のちのイシグロの作品を予想させる、人間関係の食い違いを描いています。
それはいいのですが、主人公が稲佐山に行く場面で、「ケーブルカー」に乗るところがありますが、ケーブルカーが「空の中の小さな点になってしまう」(p145)とか、「四方は大きな窓で、長いほうの壁面に向かいあう腰掛けがついている」(p148)とか、「わたしたちは宙に浮かんだ」(p149)とか、これは日本語でいう「ロープウェイ」を指しています。
たしかどこかで、「英語のcable carは、日本語のロープウェイだ」ということを聞いた覚えがありますし、稲佐山にあるのは今も昔もロープウェイなのですから、作者もそのつもりで書いたのではないでしょうか。訳者はつい最近亡くなられたと聞きましたが、この訳が1994年にちくま文庫で出てからも20年以上、どこからも指摘はなかったのでしょうか。