大義名分

呉座勇一さんの『応仁の乱』(中公新書、2016年)です。京都を巻き込んだ乱の推移を、興福寺の中枢にいたひとの残した文書を使いながら読み解いてゆくという、史料を使った叙述の手堅さが感じられます。もともとは畠山家のお家騒動にほかの大名が加担したところに、大きな要因をみるというのは、たしかに著者が第一次世界大戦を引き合いに出して考えようとする視点と通底するものがあるのでしょう。将軍も天皇も東軍に握られていた西軍が、南朝の血筋につながる人物まで担ぎ出そうとしたというところも、なにかの後ろ盾がなければ権威づけができないということにもつながるのでしょうか。
それにしても、最近の歴史の本は、ことあるごとに〈戦後歴史学〉への批判を言い立てる向きを感じるのですが、この本にもわざわざ書いているのは、当世の流行なのでしょうか。