限界の自覚

今日は斎藤緑雨の命日だそうです。1990年代に緑雨の全集が筑摩書房から出たときに思ったのですが、かれの小説は、当時の社会が、女性の自立を求めていなかったというところからくる女性の苦しさを、主観的には描こうとしていたように見えます。女性が職業をもって自立することが困難な時代には、たとえばいまでいうシングルマザーになってしまった女性は、場合によっては身を苦界に沈めるしかないというところにも追いこまれてしまいます。そうした苦しさを、緑雨は見ていたのでしょう。ただ、それを、皮肉めいたアフォリズムの方向に開いていったところが、彼の才能であったともいえるような気がします。