ちょっと見ると

そういえば、古田武彦さんが亡くなっていたのですね。
『「邪馬台国」はなかった』(朝日新聞社、1971年)を読んだのはずいぶんとむかしのことで、論理の展開におもしろさを感じたことは事実です。そのあとの、『失われた九州王朝』(朝日新聞社、1973年)も、目のつけどころは悪くなかったのかもしれません。
けれども、そのあたりから、古田さんはあまり他者の意見を聞こうとはしなかったのでしょうか、〈学界の応答がない〉という方向にばかり行ってしまったような気がします。国家形成史として、いろいろな方面からのアプローチをすることには心が向かなかったのでしょうか。
津軽の偽文書にひっかかったのも、そのあたりに遠因があったのかもしれません。