生き延びて

『母のくれたお守り袋』(滝平二郎岩崎書店、1991年)です。とくに一貫したテーマのある著作ではなく、いろいろなところに発表した文章を集めたものです。
滝平さんは1921年の早生まれ(本当は4月半ばの生まれだったのに、早く学校にいったほうがいいという親の判断で、4月1日生まれとして届けられたのだそうです)で、1941年に徴兵検査を受け、第二乙だったので、現役入営はまぬかれたものの、赤紙で召集され、沖縄戦に参加して捕虜になったという経歴の方だったそうです。
1921年生まれというと、早生まれでなければ、壺井栄の『二十四の瞳』のこどもたちと同じ年齢ということになります。岬の分校の新入生の男子5人のうち、3名が戦死、1名は傷痍軍人になってしまうという流れだったでしょうか。ある意味、紙一重の差だったのかもしれません。
そうした時代を通ってきたことを忘れてはいけませんね。