記憶の底

開高健『輝ける闇』(新潮社、1968年)です。
ヴェトナム戦争に取材した作品で、当時の南ヴェトナムに行った作者と等身大とおぼしき主人公の目から、戦争の実態をみつめます。
主人公は1930年生まれで、中学3年のときに終戦を迎えます。ですから、当時は30歳代ということになります。ヴェトナムにいる先輩ジャーナリストのなかには、中国戦線で兵士として従軍した経験の持ち主もいて、戦場体験として、跳弾の恐ろしさが語られたりもします。
主人公は大阪で少年時代を暮らしていたので、空襲も、焼夷弾が降ってくるところの記憶もあります。考えてみれば、戦後20年ばかりのときに、アメリカはヴェトナムに本格的な介入をはじめたわけです。ですから、取材にはいる主人公たちも、戦争の記憶をしっかりと保持しているのです。
そうした、戦場がどんな場所か、戦争をするというのは生活がどういうものになるのかを、みんな自分の皮膚感覚として知っていたということです。当時、闇をやらずに栄養失調で亡くなった判事さんがいたということは、極端にいえばそれ以外の人びとは、みんな闇をやって生き延びてきたことになります。その人たちの、子どもや孫にあたるのが、今の日本人なのです。
そうした記憶が、きちんと意味づけられているのか、そこが問われるのでしょう。それは、記憶の継承の問題でもあるわけです。