一知半解

12月号の『群像』の連載、原武史さんの「皇后考」は、関東大震災のときのことを話題にしています。貞明皇后が震災の被災者たちの救援に尽力したとか、そうした話題が出るのですが、当時の「天譴」論に対して、皇后が地震に際して「神のいさめ」だと受け取れる和歌を詠んだことを原さんは紹介して、これはアマテラスが皇族を戒めたのだととらえ、いわゆる知識人たちの論よりも、「皇后の方が、儒教本来の意味での天譴論者に近かった」と述べています。
本来の天譴とは、悪い政治をおこなっていた為政者へのとがめなのですから、民衆へのものではありません。どこでそれが、石原慎太郎的な天罰論とごっちゃになっていったのか、実はそれも、思想史のひとつの課題でもあるでしょう。2年前の地震の直後にも、どこかでそのことを書いた記憶がありますけれど、今回の原さんの文章で、あらためて思い出してしまいました。