それでもがんばる

北島万次さんの『秀吉の朝鮮侵略と民衆』(岩波新書、2012年)です。
李舜臣の記録などを参考にしながら、いわゆる文禄・慶長の役のときの朝鮮側の抵抗のようすを記しています。いろいろな地域で義兵がおこったことや、水軍が地の利を生かして戦ったこと、そのなかでもどさくさにまぎれて倭人の攻撃があったふりをして火事場泥棒を働いたひともいたようです。
その中で、水軍の主な担い手は、海民として、当時の両班たちから賎視されていたのだそうです。そういう人たちも、倭の攻撃に対して立ち向かうことをやっていったのです。
日本側にしても、それまでの戦いは、ともかくも、日本語が通じる世界をひとつにまとめるというものでしたが、今度のいくさにはそうした名分がありません。脱走して朝鮮側につく人たちも多かったとか。
このいくさに何の意味があったのかとも問いたくなります。