必要なのに

服部英雄さんの『河原ノ者・非人・秀吉』(山川出版社、2012年)です。
「賎」とされた人の実態を史料からさぐるというのが、この本の本来ですが、刊行当時は豊臣秀頼の父親は誰なのかを論じた論考のほうに注目がいっていたようにも見えます。ただ、それをあわせることで、著者の本来の面目にも注意をはらうことができるならば、ある意味での〈戦術〉だったのかもしれません。
著者は、ある特定の職務につくことが〈賎〉とされてしまう、社会のありようを考えます。太鼓の皮を張るには、当然その材料たる皮革をつくる人がいるわけです。井戸を掘ったり、ざるなどの細工物をつくったりと、その仕事が、社会全体で必要とされながらも、その仕事に携わることが家業になった人たちを〈賎〉として見下してしまうのです。
それは逆に、特定の家を〈貴〉としてしまうことにつながります。本来ならば、手を結んでいける人たちのなかに、分断が持ちこまれてしまいます。そういう社会に、わたしたちは生きてきたわけです。