市中ひきまわし

中西新太郎さんの『「問題」としての青少年』(大月書店、2012年)です。
青少年をめぐる環境を、「健全―逸脱」というわくぐみでとらえることは、本当の問題を見えなくさせるというのが、中西さんの意識の中心にすえられています。そうした形でとらえることで、「健全」でないのは自己責任であり、そうしたわかものを「育てた」家庭の責任だという方向に流れていって、かえって問題が隠蔽されるというのです。そして、そうした「逸脱」から社会人として自立するための回路が、労働力流動化政策のもとでは機能しなくなりつつある事態にも警鐘を鳴らします。

何でも家族に解消させようというのが、自民党改憲案をみてもわかるのですが、そうすることで、〈あいつらがダメで、じぶんのところはダイジョーブ〉という、根拠のない優越感をうえつけるようなことになるのでしょうか。そう考えるのはたしかに楽でしょうが、そこで思考をとめることはできません。