回復過程

福永武彦新生日記』(新潮社、2012年)です。
1949年と、1951年から53年にかけての福永の日記が、はじめて翻刻されたということです。当時、福永は清瀬の療養所にいたわけで、そこでの生活や、退所後の職をどのように得るのかの心配事が、文学への探求のあいまにはいります。いっときは名古屋大学で職を得る可能性もあったとかいうので、もし東京を離れていたら、どんな作家になったかとも思います。いろいろな仕事で原稿料などもはいってきていましたから、当時の交通・通信事情で名古屋と東京の間は、今とはちがっていたでしょうから、同じような仕事ははいらなかったのかもしれません。
一時は、福永の作品は各社文庫本でたくさん出ていたものですが、いまはどうなっているのでしょうか。戦争の時代に、文学や知識人のありかたを追求し、『死の島』では被爆が人間の心に与えるダメージをさぐったという、かれの仕事は、もっと顧みられてもいいかなとは思います。