途上

島崎藤村『嵐・ある女の生涯』(新潮文庫、1969年)です。
これは、1920年代の作品をあつめた、後期短編集ともいうべきもので、特に作者自身の家庭をモデルにした作品は、今のことばでいえばシングルファーザーとして4人の子どもを育てた父親の姿を描いたものとして、興味深いものもあります。
その中の作品「熱海土産」は、震災の翌年の夏に、作者が当時女学生だった末娘を熱海に滞在させる話です。震災前は真鶴まで東京からの直通列車があり、そこから熱海までは軽便鉄道で連絡していたのですが、地震で不通になり(根府川の駅は土石流のためにちょうど駅に到着しようとしていた列車もろとも海に流されてしまいました)、この段階では早川までが汽車で行けて、そこからは船で熱海にむかうという形になっています。帰りは伊東から熱海に寄港して東京まで直通する船で帰るのです。
鉄道工事は行なわれていた(熱海まで開通するのは1925年のことだそうです)のですが、そこには多くの朝鮮人労働者が動員されていて、熱海の町に宿舎があったのだそうです。地震津波で熱海の町もダメージを受けていたのですが、そうした人たちや、だんだんと回復するなかでの観光客の受け入れで、復興をめざしている姿を藤村はみています。
また、この文庫本におさめられた「食堂」という作品は、東京で中国からの輸入物産の店を営んでいたのが、震災で焼け出され、新しく食堂経営にのりだす人たちの姿を、隠居した母親の目から描いた作品で、震災から1年たった東京のようすが描かれています。
地震からの復興のいろいろな姿が、こうして描かれていたというのも、意外に知られていないことのように思えます。