急ぎ足

日本近代文学大系の『近代評論集1』(角川書店、1972年)です。
明治期の主だった評論で、個人集にはいらないものを収録しているのですが、石橋忍月森鴎外が、「舞姫」をめぐってお互いの小説の登場人物の名前でやりとりをしていた時期から20年で、自然主義のものの見方で社会にコミットできるのかという魚住折蘆の文章になったかと考えると、近代日本の思考の変化の速さを感じてしまいます。
それこそ、「七掛け」の議論ではありませんが、そうしたスピードが、いわゆる漱石の言う「外発的な開化」の問題ともかかわってくるのでしょう。100年たっても、まだその決着はついていないのかもしれないと、新しい政治勢力をあおるメディアの問題も含めて、考えていかなければならないように思えます。