もっと強く

赤坂真理さんの『東京プリズン』(河出書房新社)から考えたのですが(主人公がアメリカで『天皇に戦争責任がある』という論題でのディベートを行わされる場面があるので)、ディベートというのは、〈討論を通じて新しい認識に到達する〉ことを禁止するゲームなのだということをあらためて確認しました。
となると、これを教育の場にもちこむことの有害さは明白です。非教育的どころか、〈反教育〉でしょう。教育を〈強制〉と言いたがる人たちにとっても、子どもたちが〈新しい認識に達する〉のを禁止するゲームなど、やらせたくはないのではとも思います。
90年代あたりか、教室にディベートをもちこもうとした動きがありましたが、あのころ、もっと厳しく批判することができたのかもしれません。