綱引き

高橋哲哉さんの『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書)です。
原子力発電も、米軍基地も、だれかを〈犠牲〉にして、その上に〈繁栄〉を築き上げてきた構造ではないかと、高橋さんは指摘します。その上で、「だれにも犠牲を引き受ける覚悟がなく、だれかに犠牲を押しつける権利もないとしたら、在日米軍基地についても原発についても、それを受け入れ、推進してきた国策そのものを見直すしかないのではないか」といいます。
高橋さんが、そこまで言い切ったことに敬意を表したいと思います。
それは、権力を持つ側は当然考えていることでしょう。首相が、国民生活のために原発は必要と言い切ったことにも、〈国策〉の変更は許すまいとする、いまの権力を持っている側の強い意志を感じずにはいられません。
相手側は、それだけの〈覚悟〉をもっています。それに対抗する側も、それを認識しなければなりません。