旅愁

『西洋見聞集』(日本思想大系の中、岩波書店、1974年)からです。
基本的に、幕府の派遣した使節の記録や報告書を収録したものですが、そのなかに、柴田剛中の日記があります。かれが、1865年に、横須賀に製鉄所をつくるための交渉に、フランスとイギリスに派遣されたときの記録です。
横須賀の製鉄所といえば、今JRの横須賀駅を出たところにヴェルニー公園があり、その一角に記念館が建っていますが、柴田の記録にはヴェルニーとの交渉が詳細に記されています。
柴田の記録には、そのときどきの感慨を記した漢詩が挿入されています。当時の幕府官僚の知識レベルがほのみえるものですし、漢詩そのもののできばえは、まずまずのところではないかとも思います。
そこには、日常の些事が記され、故郷への想いがうたわれ、いかにも20世紀の漢文教科書に出てくるような「気持ち」が形になっています。それは、生涯幕藩体制のもとで過ごした頼山陽が長崎で異国情緒をうたったり、西洋事情を書物などから得てナポレオンを題材にしたものとは違う、生活のなかの漢詩になっています。
それだけ漢詩というジャンルが、19世紀の日本人にとって日常的な感情表出の手段になっているということも、重要なことではあるのですが、柴田が、基本的にヨーロッパの事物に対して、奇異の念をもって詩を作ることがほとんどないということも、考えるべきでしょう。かれにとっては、〈仕事のための出張〉であって、〈物見遊山〉ではないわけです。今までの価値観をゆさぶられるものではない〈西洋との接触〉をしていたことは、〈幕末の志士〉とはちがった認識を、柴田はもっていたということでしょうか。
柴田は、幕府瓦解とともに隠居し、公職を退きます。それも、ひとつの節を曲げない生き方だったのかもしれません。