書かれること

出口智之さんの『幸田露伴と根岸党の文人たち』(教育評論社、2011年)です。
出口さんは1981年生まれの若手研究者の方で、そうした人が露伴の業績に関心を持って研究するというのも、なかなか珍しいのではないでしょうか。露伴全集も1970年代末に再刊されて以来版を重ねてはいないのですから。
根岸党とは、1890年代前半に、饗庭篁村たちが中心となった「遊び」の集団なのですが、彼らはその「遊び」を記録して、さまざまな媒体にも発表していきます。そこには、公職にある人(裁判官もいたそうです)への配慮もあり、名指しで登場するのは文化人という暗黙の了解もあったろうことを、論証しています。そこに、名前を出すことの意味と、そういうゴシップ的な論理の成立する世界の存在が明らかになるのです。この本ではあまり出てこない斎藤緑雨の短文にも、実名をあげてのゴシップに類する記事がある(たしか馬場孤蝶を「猪の弟」といったことは、ここでも書いたと思います)のも、共有できる世界の中での論理を動かしたものでしょう。
そうした「世界の共有」が成り立った時代を振り返るのも、時にはおもしろいものです。