自称・他称

ちょっととりとめもないというか。
岩波新書の、〈中国近現代史〉のシリーズの、『近代国家への模索』(川島真、2010年)のなかに、中国の辛亥革命のあと、日本の外交官が、こんごは中国を〈清〉のような個々の国号ではなく、〈支那〉と呼ぶようにと提議したということが書いてありました。こうした国や地域をどう呼ぶかというのは、けっこうデリケートな問題だろうとは思います。日本も、倭というのが周囲から呼ばれていた名称で、それを大宝律令施行の際に、〈日本〉に改めたわけですから、他国から〈ワクワク〉と呼ばれても、文句は言えないことになるのでしょうか。岩波文庫の『三国史記倭人伝』(1988年)は、もとの史料に〈倭〉とあるのと、〈日本〉とあるのとを分けて収録していて、延烏郎・細烏女夫妻が列島にやってきた記事は、〈倭〉ではなく、〈日本〉に来たことになっています。2世紀ごろに比定されるこの事件で、〈日本〉と使われているのですから、けっこうことは複雑でしょう。