原文

うちの連れ合いが、最近韓流ドラマにはまっていて、ケーブルのオンデマンドで、手当たり次第に購入して観ているのですが、その中に、「宮」というドラマがありました。
これは、韓国に王室が存在していたらという仮定でつくられた作品で、主人公が高校生なのに、同級生の皇太子の后になるというストーリーなのです。
ここで、主人公は、后としての教養を身につけるために、漢文の古典を学びます。作品では『孝経』と『論語』が出てくるのですが、覚えるテキストが、漢字ハングル交じりで書かれているようにみえます。そのせいか、『孝経』の最初のほうの、「身体髪膚、受之父母、不敢毀傷、孝之始也」のところも、現代語訳で覚えるようになっているようです。
いっぽう、『論語』のほうは、主人公が義父(現帝)と話す場面で、「学而時習之、不亦説乎。有朋自遠方来、不亦楽乎」の部分が出るのですが、帝は主人公に〈訳〉を言わせたあと、原文を韓国語の発音で音読させるのです。日本なら、訓読結果を読ませるところでしょう。
最近の韓国では学校で漢字をあまり習わないとか聞いていますから、この主人公も苦労しています。そう思うと、白文の音読と、訳とのあいだのクッションとしての〈書き下し文〉というのをつかう日本のやり方にも、それなりの意味はあるようです。