一致点での共同

(2009年1月30日の追記
誤った前提での論を組み立てましたので、そこに関する部分に消し線を引きます。消し線だけです。追加・修正は全くしていません。
(以上追記おわり)
今年最後ですので、いつまでもひきずっていたくないので、書きます。
今年の「蟹工船ブーム」に関して、ちょっと複雑な眼で見ていました。ひとつには、不幸な現実の反映として読まれている面があるということで、そうした不幸な社会になってしまっていることへの痛みです。
もう一つは、その中で、陰湿な事態が起きているのではないかと思うことです。
今年の3月6日の記事に、佐高信さんの『サンデー毎日』にのせた文章について書きました。
彼は、今年の小樽の多喜二祭に参加しながら、中途で退席したのです。その理由を「共産党臭」を感じたからだというのです。
いまから考えると、彼のこの非常識な行動をもっときちんと批判することで、小林多喜二の業績についてのひろいコンセンサスが得られるいい機会になったのではなかったかと思うのですが、実は、佐高退席の件を、2月末に、その場にいた人から聞いていました。
ただ、証拠がないので本人が『サンデー毎日』に書くまでここでは書かなかったのですが、たとえば、小林多喜二について多くブログで発言していた「未来」さんも、「Shima教授」さんも、この件に関しては沈黙をしていました
多喜二の業績を守ってきたのは正直いって共産党しか共産党や「共産党臭」といわれる団体しかないわけですから、佐高さんの発言は言いがかりに過ぎないものですし、途中で退席するという行為が、不誠実であることはいうまでもありません。ですから、このことについて、きちんと批判をして、多喜二の業績がどう受け継がれてきたかを明らかにすべきだったのではなかったかと、今では思っています。
ところが、多くの人たちがこの件に関して沈黙してしまったことは、佐高さんの発言に道理があるのではないかという印象を世間に与えてしまったのではないかと思うのです。それは、「共産党臭」のある人の仕事は無視してもいいという風潮を作り出しているのではないかと思うのです。5月ごろおこなわれた、「多喜二・百合子研究会」主催の、多喜二の連続講座に関して、「未来」さんは存在を知る立場にありながら、まったく沈黙しています。「未来」さんの立場からは語るに足らないものだと判断されたのでしょう。
特に、秋ごろから、「派遣切り」といわれるような、雇用状況の悪化の中で、「蟹工船」が流行語大賞の候補にあがっていくなかで、ますますエスカレートしていくようにも思えるのです。
東大駒場の生協が「蟹工船」関連のフェアをやったときには、『党生活者』への誹謗に近い解説を収録した『金曜日』出版の「蟹工船」がフェアにはいっていながら、評伝として定評のあった手塚英孝の『小林多喜二』(新日本出版社)とか、コンパクトなガイドブックの『小林多喜二の東京』(学習の友社)とかは、少なくとも、「Shima教授」さんのブログでの紹介にはリストにあがっていません。(実際にはフェアにはいっていたのかもしれませんが)
今の雇用をめぐる情勢に対して、怒りを共有することは大切ですし、そのための共同を厭うつもりはありません。しかし、それと小林多喜二に対する評価は別でしょう。
「あなたの多喜二に対する見方には同意できない。しかし、あなたが「蟹工船ブーム」に現在の社会への怒りと連帯への希望をみる、という観点では一致できる」というように、言っていかなければいけないのだと思います。それができないのなら、それは屈服です。一致点での共同ではないでしょう。

来年から、またがんばります。

追記)下の神奈備さんのコメントをうけて、少し修正しました。
(以下2009年1月27日の追記
この記事の前提の条件に誤りがあると「未来」さんが語っていたと聞きましたので、この論は成立しないということがわかりました。