わき目もふらず

佐藤弘夫さんの『起請文の精神史』(講談社選書メチエ、2006年)です。佐藤さんの本は、たしか昨年『神国日本』(ちくま新書)をここで紹介した覚えがありますが、この本では、起請文に勧請された神仏のリストをながめることで、中世びとの感覚世界をさぐっていく試みをしています。
そうした、当時の「常識」がわかってこそ、それを突き抜ける「パラダイムの変換」を可能にした思考のありかたが見えてくるというのです。念仏宗の人たちが、なぜあのように強固な信仰を持ちえたのかというところが、その「パラダイムの変換」とかかわっていくというのです。
うちは臨済宗なので、念仏宗のしきたりなどはよくわからないのですが、中世というより、戦国時代にいたるまでの一向門徒のひとたちがつくりあげた共同体のありかたは、唯一の信仰という点で、画期的であったと思います。
そう思うと、列島社会の中で、いかにさまざまな思考が常識へのたたかいを挑んでいたのかということも、これからは見ていかなければならないのでしょう。