それでも季節は

山田郁子さんの『疎開家族』(ケイ・アイ・メディア)です。戦時中に父親の故郷、熊本に疎開した大阪育ちの主人公の視点から、戦中戦後の状況を描いた小説です。1932年生まれの作者と、主人公は等身大で、疎開した昭和19年には国民学校の6年生で、そこで女学校に進学していくのです。
同年齢の子どもたちは、集団学童疎開の対象になり、(有名どころでは小林信彦さんがそれにあたるようですし、黒井千次さんも同じくらいではなかったでしょうか)集団疎開のことを描いた作品は、彼らにもあるのはすでに知られているでしょう。東京の場合、3月10日の未明に大空襲があったので、卒業式のために帰京した子どもたちが、かえってみると家はまるやけで、一気に戦災孤児になったという話も聞いています。
山田さんの主人公は、父の実家がきちんと引き受ける生活の基盤をつくってくれたので、幸いにもむらの生活にもとけこんでいき、主人公は女学校へも進学できます。その点では、恵まれたほうであったにはちがいありません。作者も、あとがきで、自分の子どもが小学生のころ、親から戦争体験を聞いてこいという宿題があったときに、自分の体験はたいしたことがないと考えていたことを、書いています。
けれども、そうした世界の中にも、戦争の影は当然落ちているわけで、主人公の姉夫婦は、夫を結核で失い、娘は敗血症でなくなり、姉も北九州に仕事をみつけてまもなく死んでしまうのです。そうした悲劇は、主人公のまわりをめぐっていくのです。
そうした作品の本筋もたいせつですが、都会の子どもがみた、農村の四季がこまやかに描かれているのもこの作品の読みどころでしょう。麦刈りをして、そのあとに一気に水を張って田んぼにする。そして田植えから草取り、稲刈りと、農村の四季は休む暇もありません。そこには戦争の影はあるのですが、四季の進行はそれも含みこんでまわっているような感じがします。
人間の営みは、地球の中ではわずかなものでしょう。それは当然、人間の営みで地球をこわしてはいけないのだという気持ちを呼び起こすのです。

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