影の部分

岩波文庫パヴェーゼ作品2点、『故郷』(2003年、原著は1941年)『美しい夏』(2006年、原著は1949年)、いずれも河島英昭さんの訳です。この原著の年は、刊行の年(書き下ろしだそうです)で、作品の完成はもう少し前、というより『美しい夏』の場合は、1940年にできていたのだということです。
当時のイタリアにおいて、彼のような、「ネオレアリズモ」の作品は発表がむずかしかったということなのでしょうか。特に、『美しい夏』のような、結婚前の10代の女性が、男とつきあっていくだとか、性感染症に罹患しているとかいうことが描かれるのでは、ひょっとするとそうした状況を小説の上とはいえ、公表するとなんらかの処分がくだされるのではないかという懸念をもったのかもしれません。
ともあれ、ここに描かれたイタリアの農村や都会の姿は、けっして華やかなものではありません。また、質実剛健的なものでもありません。作者は、一見淡々と、主人公の目の前にあらわれる現状を記述しているようにもみえます。しかし、そこには『故郷』で描かれる農村でも、『美しい夏』で描かれる都市でも、閉塞感を作品の基調としてみることができるのです。どんな政治体制のもとでも人びとは生活をしているというのは、事実にはちがいありません。「産めよ増やせよ」というスローガンは、一面では〈行為〉の奨励ですから、性的暴走の歯止めにはなりません。しかし、それが「暴走」であれば、どこかに無理がきます。その〈無理〉も引き受けて、人間は生きるのかもしれません。こう書いていて、林京子さんの『青春』という作品を思い出しました。あの主人公も、〈無理〉の世界に自分をおこうとします。林さんの作品には「被爆」がポイントとしてあるのですが、『美しい夏』の世界にのしかかる閉塞感も、そうしたものにつながるのかもしれません。