大きな世界

岩波の日本思想大系の『古代政治社会思想』(1979年)を読んでいました。「将門記」と「陸奥話記」とが収録されているのですが、いずれも、京都に対して、自立をはかろうとする勢力の敗亡の姿を描いたものです。杉山正明さんが講談社から出した『中国の歴史』の『疾駆する草原の征服者』の巻で、将門が自分が政権を担う根拠として、桓武天皇の五代の子孫であることと、契丹渤海を滅ぼしたこととをあげているという指摘をしていましたが、そこの部分も確認することができました。碓氷・足柄という要害をおさえれば、関東の地は独立することができるというのも、昔からの地理的条件なのでしょう。
一方、奥州六郡の安倍氏にしても、たしか『今昔物語集』だかに、頼時が北へ北へとすすんでいって、馬筏で海(河?)を渡る「えびす」に出会う話があって、東アジアという大きなスケールのなかで勢力を伸ばそうとしていたという言い伝えがあるわけです。
列島がひとつの文化世界であったことは、宗任がいくさのさなかに義家と連歌をしたり(〈ころものたてはほころびにけり〉です)、梅の花を詠んだ和歌で都の人びとを感心させたりというエピソードが伝えられていることからもわかるのですが、契丹だの「えびす」だのという、列島の外の世界とのつながりを意識していた人たちがいたことも、忘れてはいけないのだと思います。今の私たちが思うよりも、海は隔てではなかったのでしょう。