横暴

豊島修さんの『死の国・熊野』(講談社現代新書、1992年)です。
熊野の信仰の様相をさぐった本なのですが、熊野という地域のもつ、複雑さがみえてきます。
那智の浦から船出する、補陀落渡海を考えても、これは仏教的な側面があるのは当然なのですが、熊野の本宮とか新宮とかいうのは、どうみても神社的な側面が強い言い方です。明治の神仏分離が、過去の伝統から切り離して新しい神道をつくろうという、国学の徒の意欲から来たものかを、あらためて考えさせるものでもあります。あげく、例の神社合祀が一番強硬におこなわれた和歌山県ですから、そういう形で、過去の信仰の実態とはずれている状況が、無理につくられていったのかもしれません。
本当の日本の伝統とは何かを、よく考えなければならないのでしょう。
15年くらい前に、那智の山に行ったとき、そこの展望台から見える海のみごとさに感嘆した記憶も思い出しました。そのときは、太地の宿に泊まって、くじら料理をいただいたものでした。