その年のこと

『新潮』6月号には、東浩紀さんと仲俣暁生さんの対談が載っています。以前ここでも触れた、『東京から考える』の刊行記念の公開対談の記録をベースにしたそうです。仲俣さんは、船橋育ちなので、東京の東側からみた都市の相貌をとらえようとして、東さんとは少しちがった視点をもっています。
彼らの話の中で、最近のケータイ小説の流行や、ネットでの嫌韓ばやりの状況は、今まで拾われていなかった人たちが、本を読んだり、意見を表明したりする機会をもつことができたからだということが話題になっています。文芸雑誌が拾っている層は、「ある限定された趣味を反映した雑誌でしかない」と、東さんは言います。「文学」について語るのなら、それ以外の広大な空間を認識していかなければならないというのです。
そういうところを考えて、この前ケーブルテレビでやっていた、映画の『三丁目の夕日』で、少年小説を書いている作家が登場していたことを思い出しました。かつて瀬戸内寂聴さんや津村節子さんが、少女小説を書きながら同人誌で腕を磨いていたことを思い出させます。あの映画の場合は、同人雑誌が登場せず、新人賞に応募しているという設定は、時代を捉えていないので、そこは問題がありますが、それはともかく、あの映画が「昭和33年」を舞台にしていることが気になり始めました。新横浜ラーメン博物館も、行ったことはないので現在どうなっているのかは知りませんが、「昭和33年」を再現したような町並みをつくっているときいたことがあります。
なぜその年なのかと考えていると、あることに気づきました。むかし、もう亡くなった河田昭さんが『民主文学』に書いた作品で、たしか「昭和三十三年三月三十一日」とかいうタイトルのものがありました。中学を卒業して就職する少年が主人公の作品だったのですが、この日付に意味があることに思い当たったのです。
この、1958年3月31日は、日本において公娼制度が存在した最後の日付なのです。つまり、「昭和三十三年度」は、公然とした買春が日本にはないことになった、初めての時期であるのです。ここに、時代設定がおこなわれる必要があったのです。
また、次の年の「昭和34年」には、プロ野球で「天覧試合」がおこなわれたり、明仁皇太子と正田美智子さんとの結婚がおこなわれた年で、「天皇」についてどうしても触れないわけにはいきません。映画ではテレビに映ったのは力道山でしたが、もし1959年に登場人物の家にテレビが来たとなると、そこには「皇太子」の結婚パレードが映ることになったでしょう。そうなると、それは単純な「懐古」にはなりません。(その点で、あの映画には続編が企画されているようですが、そこをどう扱うのかは、注意する必要がありそうです)
そうした危ういバランスが、「昭和33年」にはあるのです。もちろん、情報を送り出す側が、どこまで自覚しているのかはわかりませんが。