よりどころ

イタリアの作家、ヴィットリーニの『シチリアでの会話』(鷲平京子訳、岩波文庫、2005年、原著は1941年刊行)です。
作者は、ファシスト党に希望を抱いた時代があって、エチオピア侵略のときも、エチオピアにいわば「王道楽土」を建設できるのではないかという期待さえ抱き、侵略を支持したということもあったのだそうです。
しかし、スペイン戦争が彼を変えました。彼はファシスト党の侵略の本質を見抜くようになっていくのです。そのときに書かれたのがこの『シチリアでの会話』なのだというのです。
訳者による長文の解説が、その内容理解の手助けになるのですが、解説を読む前に、本文から感じられるのは、主人公が15年ぶりに故郷のシチリア島を訪れ、母親と再会するのですが、そこにキリストとマリアの面影がどうしても浮かんでくることなのです。作品の最後に、母親がある男の脚を洗っています。そうしたところも、マリアのイメージが出てきます。
権力に対する抵抗のありようとして、キリストの生涯を思わせるような配置がなされるというところに、ヨーロッパ、特に「歴史的妥協」をとなえた人たちが出た、イタリアの人たちの想いがあるのでしょうか。
韜晦した表現の中に、戦争にとられた弟をおもう主人公のきもち、幻想のなかで出会う、幼いころの記憶をもちつづける兵士として登場する弟のすがたも、印象に残ります。