わたくしごと

齋藤希史さんの『漢文脈と近代日本』(NHKブックス)です。
日本外史』の漢文体からの脱却が、近代日本の文章をつくりあげていったという指摘には、明治の文語文(普通文だそうです)がもつ、漢文の規範性から西洋の文物を導入する文章への移行の性質のあらわれであると、筆者はいいます。樋口一葉的文体が、結局はほろんでいくこととも、これは関連することなのでしょう。
日本外史』だの、『特命全権大使 米欧回覧実記』だのと、いろいろな本が出てくるのですが、そうした本とふれあった高校時代のことも思い出してしまいました。
とはいっても、実は『米欧回覧実記』は、そのときには読んでいませんでした。同じ時期に岩波文庫が刊行した、津田左右吉の『文学に現はれたる我が国民思想の研究』を、せっせと読んで、結局、津田の〈文学〉の観点はきわめて狭いことがわかって、こんな本を読んでも役に立たないと考えたという、ある意味むなしい読書だったのかもしれません。何日か前に、岩波文庫の3点をえらんだとき、青帯から出なかったのも、そこに原因があるのかもしれません。当時、神保町の岩波の本を売っている信山社で、津田左右吉の本を買ったら、同学年の男がいて、彼は、『米欧回覧実記』を買っていたのに遭遇したことがありました。彼は、そうしたことへの関心を生かしたのか、あっさりと東大にはいり、大蔵省に入ったようです。今回、彼の名前を検索してみたら、金融関係ではけっこう名の知れた存在のようで、彼の名を新聞記事でみかけることもできました。あのとき、こちらも『実記』を買っていれば、などとばかなことを考えるわけでもありませんが、そうした違いは、けっこう大きいのでしょう。

齋藤さんの本とはあまり関係のない話でしたね。