権利と義務

宮武久佳さんの『知的財産と創造性』(みすず書房)です。
もともとは『すばる』に、「所有の誕生」として発表されたものをもとに加筆したものだといいます。この連載は、ちょうど篠原一の盗作騒動の直後からはじまったので、ひょっとしたらこの騒動と関連したのではとかんぐったことがあったのですが、それはまったくの勘違いで、そういうことは関係なく、著作権や創造の問題についてかんがえるのに、よいエッセイとなっています。
欧米でいま著作権が死後70年になりつつあるときに、日本ではどうするべきかは慎重に考えたほうがいいと思います。たとえば、1959年に亡くなった永井荷風は、現状では2010年1月1日からフリーの状況になる予定です。けれども、その前に70年の規定が定められたら、20年も保護状態が続くことになります。すると、1908年の「すみだ川」などは、今でも作品発表から100年以上も保護されることになるのが、もっと延びるわけです。
著作権が保護されるのは、その作品をどういう形で発表するかどうかの権利を、作者が保持する必要があるからです。それが文化遺産であるならば、ある意味では権利を持っているからには発表するのがある意味では義務なのではないでしょうか。「保護」を理由にして、いろいろなものが簡単に読めない状態にあるのは、本来の趣旨からははずれているように思えます。もちろん、今の出版事情では、ある作品を継続して読めるように出版を維持していくのは大変なことであるのはわかるのですが、埋もれた作品を発掘して広げていくことに不便なシステムは、改善していく余地があるのではないかとも考えます。たとえば、JASRACみたいな組織を文芸家協会なりが作ろうとしている(もうできているのかな)わけですが、それをもっと広げて、ある意味義務化していくようにして、一定の料金さえ払えば、改変なしの複製だけでもする権利を与えるようにしていくとか、考えようはあるのではないかとも思います。