委任

明日が投票日だからというわけではないのですが、どうも、「マニフェスト」というものがよく理解できません。何か、「マニフェスト」が流行するようになって以来、当選した人が、なにか白紙委任をとりつけたような、独裁者になっているように見えるのです。選んだ側の要求をくみとるのではなく、「自分はこれをやりたいから、応援してくれるなら勝手にやってくれ」というだけで居直るようにもみえるのです。そういう意味では、20年くらい前から「勝手連」なるものが出てきましたが、これも、『勝手に応援していいけど、あんたたちの願いはかなえないよ』といっているようにもとれるのです。「しがらみのない」ということばも、一歩まちがえると、「だから自分の好き勝手だ、住民の要求に屈することはない」ということともとれるし。
それにしても、「行政改革」というのが、単なる人減らしというのでは、「わたしは首切りをします」といっているだけのようにみえて、そうした「経営」をもてはやす人の気持ちがどうも理解できません。二葉亭四迷の『浮雲』は、リストラされた公務員の青年が、地位も恋も名誉も失ってひきこもりになるという、考えてみれば、きわめて『現代的』な作品でもあるのですよね。一時期内海文三は作者から戯画としてみられているという論が出たことがありましたけれど、そうしたのんきな話でもなさそうです。幸田露伴の『風流仏』も恋を失った青年が芸術に走ろうとして妄想を抱くのですし、当時の現代日本を描いた作品に、そうした社会的な挫折が描かれていたことは、もっと注意しておいたほうがいいのかもしれません。