差異の構造

東浩紀さんと北田暁大さんの対談、『東京から考える』(NHKブックス)です。
おふたりは、ふたりとも1971年生まれ、私立の中高一貫校に通い、東京大学に入学したという経歴の方で、そういう出自から、今の風景を考えようとしています。
町並みが一方では青葉台や成城のように、セキュリティを地域住民総がかりで守っていこうとする方向と、国道16号線沿線のような、車でいけるような大型店舗やコンビニ・ファミレスに象徴されるような方向性があって、そうした16号線の流れにいってしまうのではないか、そうでなければテーマパーク化していくことで、擬似的な空間として青葉台的なものが残るのではないかという考え方が出てきているようです。いわば、町並みで住んでいる人の状況をおしはかることができなくなるのだというのです。ヒルズ族も、非正規雇用の人も、似たようなものを身につけ、似たような店で買い物をし、似たような店で飲食する、という状況が現れつつあるというのです。
そうなると、何が格差をうみだすのか、と考えると、やはり労働にいきつくのではないでしょうか。商店街がシャッター通りになり、郊外の店舗に人が流れていくならば、そこの店で働く人は、多くが非正規雇用の人たちでしょう。そういう人たちは、自分の労働力を売って賃金を得るという、労働者になるわけです。商店主は、小なりといえども、自分の店というものをもっていますが、スーパーのレジ打ちのパートの人は、雇われているわけです。そういう形で、個人の店だったものが、経営者(資本家)と被雇用者(労働者)という、シンプルな資本主義の形態になってしまうのです。
もちろん、学者である東さんも北田さんも、そんな考察はしていません。しかし、かれらの指摘が、こういう形で受けとめられるものだということは、けっこう大切なことかもしれません。