関与

河野談話」に関して、おじいちゃん子の方がいちゃもんをつけていて、アメリカにまで文句をつけにいったとかいうので、思い出したのが、加東大介沢村貞子の弟です)『南の島に雪が降る』(光文社知恵の森文庫、2004年、親本は1961年らしい)です。
その中から引用します。ニューギニアのマノクワリに到着したところです。(文庫本42ページ)

 それでも、司令部だけは、ラワンかなにかのまっ白い木でつくった本建築をさぐりあてていた。
「おッ、いいところがあったんだな」
 そこにいた建築班の兵隊に、そう話しかけたら、かれはムッとして、
「わたしたちが腕にヨリをかけて建てたんですからね。でも、軍司令部なんかに使ってもらうためじゃありません」
 ヘンにツンツンしている。
「どうしたんだい? なにかイワクがあるのかい?」
「大ありでさ。この家は、ピー屋になるはずだったんです」
 これには、思わず笑ってしまった。
「笑いごっちゃありません。あんたがたが着く少し前に、ほんとに、慰安婦を満載した輸送船が、そこの岬のところまできたんだ」
 兵隊のゴキゲンは、ますます悪くなる。
「それが、わしらの見ている前で……」
 かれは、いまいましそうに、船が沈没する形を手でつくってみせて、わたしの顔をにらみつけた。潜水艦にやられたのだ。
「ピー屋変じて、軍司令部か」
 とはいったものの、待望の生仏サマを目の前で沈められた痛憤は、わからないでもなかった。

こういう記述があるんですね。