仮名実名

2月20日は多喜二の日ですが、その話題ではなくて。
講談社文芸文庫室生犀星あにいもうと・詩人の別れ』(1994年)です。解説を書いているのは、中沢けいさんで、子どもの頃(14・5歳のころだそうですが)「あにいもうと」を読んで、「私というものの背中や首筋が荒い言葉でどやしつけられた感じがしたものだ」という気持ちになったそうです。さすが、若いときから小説家として認められる人はちがうものだと思いました。こちらも、ほぼ同年代のころに一度は読んだにはちがいないのですが、そんなことも感じなかったし、なにより、記憶が残ってないのです。覚えているのは、同じ(当時の)新潮文庫版にあった「近江子」という作品で、夫の経歴詐称を知った学校教師の近江子が不憫でならなかったという記憶があるくらいなのです。
それはそれとして、堀辰雄立原道造萩原朔太郎を思わせる人物が、いろいろなこの文庫本に収録された作品に出てきます。それだけなら、仮名をつかって記述したのだと考えればいいし、尾崎一雄の「緒方」とか、横光利一の「梶」のような存在として、犀星の「野木」もいると思えばいいのですが、「詩人の別れ」では、かたや〈茅原朔太郎〉で一方は〈北原白秋〉だというのでは、どこに基盤があるのかとも考えてしまいます。